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みやま文庫は群馬県の歴史、文化、自然、産業、スポーツなど、郷土に関するさまざまな分野の図書を編集、発行しています。2026年で創刊から65年、計255冊を刊行しました。既刊本の一般頒布も行っています。
既刊本で在庫がない絶版図書は、オンデマンド印刷(POD)によって復刻し、お手元にお届けしています。ご購入を希望される方は、「みやま文庫復刻POD」へ

みやま文庫既刊図書一覧


令和6年度刊行 第253巻
前橋の知られざる偉人の事績を追う初の伝記

『前橋復興の恩人 

安井与左衛門』 野本文幸

前橋を利根川氾濫から救った男の物語


江戸時代、氾濫する利根川の治水工事を指揮し、人口減少に苦しむ前橋を復興させた川越藩町在奉行・安井与左衛門に関する初めてのまとまった伝記。支流域の田畑を守るなど数多い事績も新資料をもとに紹介する。

令和6年度刊行 第252巻
 

近代和風建築の傑作   その謎と魅力に迫る

 『謎解き  臨江閣』 小島純一


国重要文化財・臨江閣の決定版ガイドブック 

群馬県を代表する明治期の近代和風建築である臨江閣(国重要文化財)の決定版解説書。臨江閣建設の経緯と特質、建物のもつ価値を中心に、数々の未解明の謎を解明し、その魅力を多くの写真、資料で伝える。


令和5年度刊行     第251巻

『群馬の郷土史と『上毛及上毛人』-豊国覚堂の時代』

         大野  秀彰

郷土史研究者らの業績   時代踏まえ複眼的に分析

明治から昭和にかけて活躍した群馬の代表的な郷土史家、新聞人の豊国覚堂(1865-1954)は、1913(大正3)年、上毛郷土史研究会を結成し、翌年から機関誌として月刊郷土研究誌『上毛及上毛人』を28年間にわたり、合わせて300巻発行。郷土の歴史研究、文化運動を推進し、後進たちに多大な影響を与えた。
本書はこの上毛郷土史研究会と『上毛及上毛人』に焦点を当て、同誌に掲載された豊国の宣言文や社説などをもとに、豊国と同時代の研究者らの活動や思想を克明に分析。時代背景を踏まえ、彼らが果たした役割を複眼的にとらえ、実相に迫っている。

令和5年度刊行     第250巻

『食の歳時記  高崎』   横田  雅博

年中行事と食を通して「生きる知恵」伝える

かつて主に高崎で見られた年中行事と、その際に作られてきた食べ物を、農家のお年寄りらへの聞き取り調査をもとに、やさしく解説した随筆集。
年中行事には、人が楽しく心豊かに生きていくために欠かせない生活の知恵が詰まっている。本書はそんな視点で、身近な行事や餅、赤飯、まんじゅうなど身近な食べ物を取り上げ、時代が変わっても忘れてはいけない大切なことを伝えている。「広報高崎」の連載「高崎フード記」に加筆・修正し、まとめた。
著者は日本民俗学会会員。群馬県立歴史博物館勤務時代に企画展「粉もの上州風土記」を担当。著書に『おきりこみと焼き饅頭-群馬の粉もの文化-』(農山漁村文化協会)がある。

令和4年度後期刊行     第249巻

『群馬の川 水源紀行』増田   宏

半世紀かけて源流探訪   豊かな自然環境を紹介

群馬は多くの河川の水源をもつ水源県である。峰から発した水が集まって沢になり、沢が集まって川になる。筆者は少年の日、渡良瀬川の水源を訪ねたのをきっかけに、川の源に興味をもつようになったという。本書は、そんな筆者が半世紀にわたり探訪してきた群馬の主要な河川の源流を紹介する紀行文である。
取り上げているのは、利根川上流水系、片品川水系、吾妻川水系、烏川水系、渡良瀬川水系、只見川水系など。明治期に編纂された地誌『上野国郡村誌 』などの記載を頼りに、豊かな自然が残されている川の源を遡行していく過程を綴っている。多くの写真、地図とともに美しい渓谷や滝の描写が加えられ、なかなか見られない源流付近の自然環境を詳しく知ることができる。

令和4年度後期刊行     第248巻

『高崎五万石騒動-幕末維新の民衆世界-』
和田 健一 

一揆の概要とその特質   文化的背景からも分析

1869(明治2)年、凶作を一つのきっかけに、高崎藩領内で年貢の減免を訴える「五万石騒動」が起こった。農民たちが自らの生活確立に向けて命がけの運動を展開したことで知られる農民一揆である。本書は、発端までの経緯から、大きな騒動に展開していく動きを追い、文化的背景やその後の顕彰活動まで紹介している。
高崎藩の歴史的変遷、気象、地理的条件からも検証し、騒動の背景となる高率年貢の原因、農民たちの組織づくりの過程、他の一揆との違いなどについても掘り下げて分析。騒動の歴史を後世に語り伝えていく活動についても取り上げており、騒動の概要とその特質が理解できる。

令和4年度前期刊行     第247巻

『上野国交替実録帳を読む -千年前の県政白書-』

     前澤   和之 

史料を深く読み解き  上野国の実態を伝える

平安時代後期の1030(長元3)年に作られた「上野国交替実録帳」は、国司交替の際の事務引き継ぎに関する記録である。当時の上野国の財政状況や寺社の破損状態などが記されており、この時代の政治と社会のあり方を私たちに伝える貴重な史料となっている。
本書はこの文書の内容とともに、歴史的遺産としての意義についてわかりやすく解説している。史料が作成された背景を理解できるよう、古代日本での政治の仕組みと上野国の立場について考察。史料に記載されている内容を解読し、千年前の地域社会のあり様を探る。これにより、当時の政治と人々の関わりの実態を具体的に浮かび上がらせている。

令和4年度前期刊行     第246巻

『文字から探る古代の群馬』  松田 猛

史料と資料の文字関連させ  古代史を丁寧に解き明かす

発掘調査で出土した文字資料は書かれた時の生の資料であり、当時の行政や社会の実態を知るための貴重な情報源となる。文献史料は、文字で記録された資料をさし、この二種を組み合わせて研究することで、立体的、具体的な成果を生むことができる。
本書では、文献史料と出土文字資料とが相互に補い合うことで、解明されていく事例を取り上げている。群馬県に関わる『日本書紀』『続日本紀』など六国史、国内の各郡郷名を記す『和名類聚抄』、多胡碑や仁治の碑などの金石文、といった文字史料を、筆者がこれまで携わった発掘調査で出土した文字資料と関連させ、群馬の古代史を丁寧に解き明かす。

令和3年度刊行 第245巻

『上州の飛脚-輸送網、金融、情報-』 巻島 隆

かつて、S川急便のまげに腹掛け、ふんどし姿で商品を運ぶイラストには馴染みがあるだろう。飛脚という仕事がいつ始まったかは定かでないが、中心は江戸時代になる。本書では飛脚の発生から、上州への参入、各地の出店状況、輸送システムと運賃など、そして、飛脚業者から文人画輩出したことなどに記述が及ぶ。
著者の資料収集とその分析力、また、比較的スポットは当たらないものの、交通インフラの代表格たる飛脚の世界に目を付けた慧眼には驚かざるを得ない。前島密による近代郵便制度に埋もれてしまったものの、近世に確立した飛脚制度を学ぶには格好の書である。

令和3年度刊行 第244巻

『群馬の現代染織-産業からアートへ-』  黒田亮子


伝統を受け継ぎ、新しい作品を生み出す

群馬という養蚕製糸の一大産地に根付いた染と織の伝統はしっかりと受け継がれてきた。だが、和服から洋装と生活習慣の変化などにより、かつての輝きは失われつつあった。
しかし、高崎の実業家、井上房一郎の工芸運動を起点とする産業とアートの展開がその後の群馬の優れた職人や作家、テキスタルデザイナーを生むことになった。草木染研究の第一人者・山崎青樹、江戸小紋の藍田正雄、伊勢崎織物の伝統を守った芝崎重一、「布の魔術師」として世界的評価の高い桐生の新井淳一、その跡を継ぐ須藤玲子など、伝統的技法を使って独自の芸術的作品を生み出してきた作家が「まだ見ぬ布」を追い続けている。

令和3年度刊行 第243巻

『群馬の高校野球 1969~2018』  

     黒澤克利・関口功一編

 

群馬の高校野球史、頂点への軌跡

 本書では高校野球における群馬県勢の活躍を昭和44(1969)年度から平成30(2018)年度まで10年刻みで記述している。第33巻『群馬の高校野球』(絶版 、

草創期から戦後の全国高等学校選手権大会第50回までを対象 )の続編に当たる。

本書の特徴は、群馬の高校野球史において県勢の活躍に大きく寄与した人たちの寄稿を組み込んだこと。1978年の第50回選抜大会で完全試合をした前橋高の松本稔投手、県勢として初の日本一に輝いた桐生第一の福田治男監督、初出場で初優勝した前橋育英高の荒井直樹監督ら17人の生の声からは厚い野球愛や地元愛が伝わってくる。

 
令和3年度刊行 第242巻 

『古文書から見た幕末のコレラ-コロナ禍に遭遇してー』 

服部 暎(はっとり・あきら) 
 

江戸時代後期に発生したパンデミックの脅威 

 
人類は有史以来感染症に悩まされてきた。日本では『続日本紀』をはじめとする史書に多く記録が残されている。本書では幕末の安政5・6年にかけてのパンデミックの流行を取り上げている。 
著者は皮膚科の医師であるが古文書に興味を持ち、「暴瀉病」という病名と出合った。当時はコロリ、主に江戸から明治期に使われた言葉で、今の「コレラ」のことを指す。著者は群馬県内に残る古文書や日記、また各県の県史から、当時の世相や住民の心情、生活の混乱ぶりを読み下し文や原文で紹介、解説を加えた。 
当時の幕府や庶民の対応と今般のコロナ禍の状況を比較してみるのも面白い。 


 

令和3年度刊行 第241巻 

『鉄が語る群馬の古代史』   笹澤泰史 

 

群馬に伝わった鉄器の歴史 

 鉄文化といっても第一に鉄器そのもの、次に鉄器を加工する鍛冶技術、最後に原料から鉄を作る製鉄技術からなる。群馬県域に初めて鉄器が現れるのは弥生時代後期とされる。古墳時代に中期の古墳に武具や馬具など大量の鉄製品が副葬されている。東日本への製鉄技術伝播は西日本に遅れること約100年、7世紀中ごろの飛鳥時代になる。 

本書では鉄を通じて弥生時代から平安中期までの古代群馬の歴史を伝える。著者は群馬県埋蔵文化財調査事業団や群馬県文化財保護課で古代製鉄技術や古代製鉄遺跡の研究を続けてきた。 

 

令和3年度刊行 第240巻 

『令和の尾瀬へー守るべきものは何かー』 

奥利根自然センター編 

 

豊かな自然環境を次世代に引き継ぐために 

 尾瀬の開山は1890年(明治23)とされる。戦前は日光国立公園の一部となり、戦後、水力発電用のダム建設、奥鬼怒スーパー林道の建設などが浮上、建設か保護かで揺れた。高度成長期には尾瀬の過剰利用(オーバーユース)、具体的にはハイカーによる湿生植物の踏み荒らしやごみ・し尿問題なども発生した。 

このような試練を乗り越えて、尾瀬は「自然・環境保護の聖地」とされる。2007年には一部地域を含め尾瀬国立公園として独立指定された。また、国際的条約や法整備も随時行われてきた。 

では、令和の尾瀬とは何か。奥利根自然センターの運営に関わり尾瀬を知り尽くした専門家が、保護活動や尾瀬を学ぶ意義、尾瀬の自然を壊す事例写真などで、今後に向けた尾瀬のあり方や問題点を提言する。 

 

令和2年度刊行 第239巻 

『湯浅一郎―人と作品―』    染谷 滋 

 

近代日本洋画の発展に関わった画家 

 湯浅一郎は明治と共にその一生を歩み、群馬を代表する画家のひとりである。日本近代洋画の父である黒田清輝の弟子として、また白馬会のメンバーとなり、日本画壇で活躍した。1931年(昭和6)に死去、没後多くの遺作展も開かれ、2018年(平成30)に群馬県立近代美術館で開かれた生誕150年記念展は、本格的な回顧展となった。 

湯浅は1869年(明治2)1月に安中市の醤油味噌の醸造販売を営む「有田屋」に生まれた。一郎の父、治郎は新島襄の感化を受け「安中教会」を設立したキリスト教徒である。 一郎は新島が設立した同志社に学び、卒業後、画塾を経て東京美術学校で西洋画を学ぶ。黒田清輝らの白馬会に所属し、その展覧会に出品した。1905年(明治38)から5年ほどスペインやパリで学ぶ。文展への不満から二科会の設立に関わり、重鎮となる。 

著者は群馬県立近代美術館の学芸員、館長として湯浅の作品に接し研究や企画展に関わってきた。「絵は売るな」と父・治郎が言ったおかげで、近代美術館には108点もの湯浅の絵が収蔵され、今後、さらなる湯浅の画業研究の進展が期待されている。 

 

令和2年度刊行 第238巻 

『「家伝秘録」からみた山村の近世史ー金子照泰の精神世界ー』 

藤井茂樹 

 

江戸時代の情報社会化を証明 

 「家伝秘録」とは、一生を上州の山村で送った文人が江戸後期の政治や社会、文化について書き残した全15巻の記録集である。 

著者の金子照泰(1724~1821)は利根郡大原村(現沼田市利根町)の名主で、農業を営みながら俳句の宗匠、郷土史家、絵図師の顔を持っていた。東北から四国まで旅し各地に多くの文通相手がいたことから、伝え聞いた当時の村社会や人々の生活実態、幕府など領主の動向、諸国の天変地異や出来事など458件を年代順に綴った。 

このことは江戸後期が情報社会であり、飛脚などを利用した情報システムが発達していたことを物語っている。 

令和2年度刊行 第237巻

『群馬の方言-その聞く世界-』   篠木れい子

 

方言が開く世界を共有する喜び

 転勤族の娘として育った著者には、しっかりと根を張った生活語がない、いわば「ことばのふるさと」がないという。方言学の専門家にとって、そのことがフィールド調査において、より客観的な視点を保つことができたのではなかろうか。

著者は1980年(昭和55)に群馬県立女子大学に赴任して以来、群馬県内各地の方言と向き合ってきた。群馬県西南端の奥多野や県北の六合村(現中之条町)、片品村などでの食語や生活空間に関する語彙を採取し、他地域との交流や生活の基層を見出した。

本書には、山奥でのオンジー・オンバーとの出会いやフランス・プロバンスや中国・蘇州での食語調査の体験が盛り込まれ、エッセーを読む感覚でごく自然に方言を学べる工夫が施されている。

 

令和2年度刊行 第236巻 

『上州地学ハイキング』 

地学団体研究会前橋支部/上州地学ハイキング編集委員会 

 

ハイキング感覚で地元の地質や歴史、伝説を学ぶ 

 地学というとちょっと敷居が高い。しかし、ハイキングというと別だ。だれでも気軽に長めの散歩を楽しめるといった感覚だろうか。 

本書の執筆は地団研(地学団体研究会)前橋支部といういかにも学問研究にいそしむ専門家集団といったイメージだが、1999年(平成11)12月に「日曜地学ハイキング」という一般向けのイベントを開催した。2015年(平成25)に群馬県内12市すべてのハイキングコースを完結、その際の案内冊子が埋もれてしまうことを残念に思ったことから、「群馬歴史散歩の会」の機関誌に掲載する話が浮上した。歴史や民俗的視点からの記事も盛り込み、連載後、本書ができあがった。 

一例として、前橋市コースではお艶が岩や虎姫観音の伝説、岩神の飛び石、利根川の流路の変遷、浄水場などうまく地学に絡めながら解説している。また、各コースには地図が掲載されており、これを参考に個人やグループで歩くのも面白い。 

 

令和元年度刊行 第235巻 

『上毛野の古代仏教』   関口功一 

 

東国文化の中心地でいかに仏教は広まったか 

 日本への仏教の伝来は6世紀中葉のこととされるが、群馬における「地域仏教」が定着していたことは、上野3碑の一つ、山上碑(681年)と金井沢碑(726年)の建立に見ることができる。 

本書では唐招提寺を創建した鑑真の弟子・道忠の活動や山上多重塔(801年)建碑の背景、写経事業に取り組んだ上毛野真人、さらに古代寺院の動向、国分寺政策の推移や大寺院の食封(律令制度下の給与制度)、地域仏教の変容、山岳寺院の諸相など、興味深い項目を取り上げている。 

中国の王朝から朝鮮半島を経由して長期間にわたって日本で生み出された古代仏教を上毛野、上野国の時代に限ってその変遷を解説したのが本書である。 

令和元年度刊行 第234巻

『「荒船風穴』と「春秋館」』   秋池 武

 

絹の大衆化に大変革をもたらした明治期の施設

 2014年(平成26)6月、「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産に登録された。「荒船風穴」(下仁田町南野牧屋敷)はその一つを構成している。風穴から噴出される冷風によって、貯蔵蚕卵を生理変化させることなく長期間保持することができる。「荒船風穴蚕種貯蔵所」がその冷風を利用した施設として1905年(明治38)に竣工した。経営を担ったのが、養蚕飼育・蚕種販売を生業としていた庭屋静太郎の「春秋館」である。春蚕種から夏秋蚕種まで扱うことのできる風穴として「春秋館」と命名したとされる。

江戸時代から春秋館の稼働前まで、年1回の春蚕飼育が中心だった。それが風穴の冷風利用によって、夏秋など多回数化が可能となった。大正時代半ばには42府道県から春秋館へ産卵紙の委託があった。しかし、第1次世界大戦終結後の欧州生糸生産の復活や景気低迷、電気冷蔵庫の普及などで受託量が減り、1943年(昭和18)ごろ、終えんを迎えたとされる。

著者は下仁田町歴史館の館長を務め、荒船風穴調査の直接の担当者である。本書では図表、写真を多く使い、風穴の役割や仕組み、建造の歴史、また春秋館の経営などについて丁寧に解説している。 

 

平成31年度刊行 第233巻 

『画家・住谷磐根とその時代』    手島 仁 

 

時代と共に歩んだ生涯現役の作家 

 住谷磐(いわ)根(ね)は、1902年(明治35)、群馬町東国分(現高崎市)に生まれた。実家が養蚕農家であった関係からか、群馬県立勢多農林学校、私立高山社蚕業学校を卒業した。独学で好きな画業に励み、1997年(平成9)に95歳で死去した。兄は同志社総長を務めた悦治、叔父に牧師で非戦論者として名高い住谷天来がいる。 

磐根は前衛美術運動の画家として画壇デビュー後、具象画に戻って海軍従軍画家、戦後は東洋画に独自の画境を開いた。大正期に起こった前衛的美術運動の一つ、「マヴォ」に所属した。イワノフ・スミヤヴィッチを名乗って出品した「工場に於ける愛の日課」が二科展に入選したものの審査の公平性を問う声が上がり、本人が撤回したという事件も起こった。 

著者が晩年の磐根に原稿依頼した「高崎創画研究会」は、『高崎市史研究 10号』(高崎市)に掲載された。それら論文や遺族から提供された資料、その後の調査を経て、評価が埋もれがちだった「生涯現役の画家」の評伝が成り立った。 

 

平成31年度刊行 第232巻 

『福沢一郎 人と作品』    染谷 滋 

 

群馬を代表する洋画家、名誉県民に選出される 

 福沢は1895年(明治31)に富岡市に生まれた。市内メーンストリート(国道252号)には「福沢一郎画伯 生誕の地」と書かれた柱が立ち、名前を冠した美術博物館もある。 

福沢は旧制富岡中学校から仙台二高、東京帝大文学部へと進んだ。在学中、彫刻家の朝倉文夫に弟子入り、文展彫刻部門で初入選した。1924年(大正13)4月パリに向かう。留学生活は7年に及んだ。彫刻を制作していたが、絵画の制作を始める。帰国後、福沢はシュルレアリスムの紹介者として一躍脚光を浴び、前衛絵画のリーダーと目された。 

本書ではそれからの歩みを多様な表現への挑戦、世界の旅 地獄への旅、神話から人間賛歌へ、没後の評価と現在と分け、作品画像と共に紹介している。 

群馬県立近代美術館の学芸員として生前の福沢と面識のあったのが著者。1988年(昭和63)同館開催の「福沢一郎展」、1992年(平成4)の「文化勲章受章記念 福沢一郎展」を担当した。 

平成30年度刊行 第231巻

『桐生・山の地誌』  増田 宏

 

習俗や民間信仰の場としての山の記録

 「地誌」とは特定の地域に関する説明や研究のこととされる。奈良時代に編さんされた「風土記」などはその一例。

表題の通り、本書は桐生地域の山について述べたものである。この地域の主要な山は第217巻『山紫水明―桐生の山』ですでに取り上げている。その続編として、先に記載された山以外、すなわち市街地・集落周辺にある裏山や丘を対象としている。

桐生地域内の標高150mから1900m超の山あるいは頂を特定できない山や丘陵220座を調べた。市内の各地区、桐生周辺の山、そして赤城山の各峰と川や沢、袈裟丸山の渓谷、特に鳴神山の信仰については1章を割いた。

都市化の進展で地域社会が変貌し習俗や民間信仰が廃れ、身近な山名までも忘れ去られた現代人に残したい記録として、地元民ならず多くの人に読んでもらいたい一冊である。

 

平成30年度刊行 第230巻 

『浦野匡彦伝-上毛かるた生みの親の生涯-』 

岡野康幸編 

 

群馬を代表する郷土かるたの誕生秘話 

 上毛かるたがなぜ群馬県民にこれほど支持され、文化として根付いているのか。それに反し上毛かるたを作った人の名前は全く知られていない。

そこで著者は、上毛かるた生みの親、浦野匡彦(うらの・まさひこ)にフォーカスした。浦野は「上毛かるた」にうたわれる「や」の読み札、「耶馬渓しのぐ吾妻峡」の地元、吾妻郡長野原町の神職の家に生まれた。旧制前橋中学校から、開校間もない二松学舎に学ぶ。北京での留学生活を経て満州国の官僚となった。敗戦で帰国、戦後は戦争犠牲者援護の仕事に携わった。 

戦後のGHQの占領政策は、日本の義務教育から歴史、地理の教育を取り除くものだったが、これに対し浦野は遊びを通して子どもたちに郷土の歴史や地理の要点を教え、郷土愛を育くめるものが必要と考えた。その思いが1947年(昭和22)12月に発行された「上毛かるた」につながった。翌年2月には第1回の競技県大会が開かれた。戦後わずか2年余のことである。この事業は群馬文化協会から群馬県へと引き継がれ、今も多くの県民に愛され親しまれている。 

平成30年度刊行 第229巻

『大逆事件余波と群馬(下)~その展開と終息、及び文学』

石山幸弘

 

明治末期の知識青年は何を考えていたか

 大逆事件とは1910年(明治43)、明治天皇暗殺を計画したとする社会主義者、無政府主義者ら26人が大逆罪で起訴され、幸徳秋水ら12人が処刑された事件。戦前の思想弾圧体制につながるきっかけとなった。この事件は「刑法第73条ノ罪被告事件」と呼ばれ、群馬県からは罪状該当者はいないとされていた。

ところが、高崎で創刊された社会主義啓もう誌『東北評論』の印刷名義人に、事件の中核を担った青年がいたことから、群馬県も関係先とされ捜査対象になった。取り調べ、裁判の結果、3人が不敬罪として前橋監獄に収監された。罪に問われるような内容ではなく、むしろ冤罪といってよかった。

上巻では問題となった『東北評論』について、下巻では不敬罪に問われた関係者たち、また、事件が群馬出身あるいは関係する文学者たちにどういう影響を及ぼしたかについて論述している。 

 

平成30年度刊行 第228巻 

『上州白旗一揆の時代』   久保田順一 

 

関東西部を支配した中世武士団の解明 

 「一揆」とは対等な関係で集まった武士が集結し一つにまとまり事に当たるというもの。地域の武士たちが一揆を結び、戦場に赴く軍事集団として活躍した。南北朝以降、関東西部には白旗一揆と平一揆が成立した。 

白旗一揆(上州一揆)は南北朝期に生まれ戦国期まで継続、やがて上州、武州に分かれた。本書では少ない資料からその成立、分国化の経緯、さらに上州衆、領主へと変遷していく様を捉え、成立から消滅までの過程を明らかにした。 

群馬の中世史研究が進展する中、押さえておきたい一冊である。 

 

平成29年度刊行 第227巻 

『古代東国のフロンティア・上毛野-上毛野氏と東山道十五国都督』 

小池浩平 

 

古代東国の覇者 上毛野氏の実像に迫る 

 古代史において、上毛野氏(かみつけぬし)は第10代崇神天皇の皇子、豊城入彦命を祖とし、今の群馬県一帯を治めた。群馬県が東日本最大の古墳県であることから、大和政権と密接な関係があったとされる。 

本書では上毛野氏の東国における政治的地位や役割、王権との関わり、エミシ政策の推進、律令国家で中央官人化した上毛野氏などについて取り上げた。そして、5~7世紀の上毛野氏が倭王権の都督として、名実ともに東国のフロンティアとなったことを明らかにする。また、上野3碑についても東アジア世界との交流、律令国家の形成と群馬地域の動向を示す文化遺産としてページを割いている。 

平成29年度刊行 第226巻

『上野三碑』   松田 猛

 

ユネスコ「世界の記憶」を徹底解説

 日本にある古代石碑18例のうち3つが高崎市に集中している。多胡碑は和銅4年(711)ごろ、山ノ上碑は天武10年(681)、金井沢碑は神亀3年(726)に建てられた。国の特別史跡、2017年(平成29)にユネスコ世界の記憶に登録された。

これらの碑文からは日本の古代国家の成立、8世紀前後の地方政治の実情や仏教の広がり、家族内の女性の地位などが読み取れる。3碑は漢字文化、仏教信仰、国際的文化交流を物語る一級の資料であると言える。

本書では「世界の記憶」登録に至る歩み、6・7世紀の政治状況と上毛野地域の動き、3碑についての理解が深まるよう関連の写真、図を多用し解説している。

平成29年度刊行 第225巻

『山伏の地方史-群馬の修験道-』

久保康顕・佐藤喜久一郎・時枝 務

 

山伏・修験の世界観に迫る

 

修験道は日本古来の山岳信仰を土台として誕生した。山中の修行で得られた超能力を武器に、里の地域社会で宗教活動を展開する宗教であり、その担い手が山伏である。修験道の成立は11世紀、独自の教団を形成したのは15世紀に入ってからとのことである。

群馬県には修験道の霊山はないとされていたので、山伏は身近な存在ではなかった。しかし、明治政府の修験道廃止令以前には多くの山伏がいた。復古神道を理想とする政府には山伏は忌まわしい存在であったのだ。

本書では中世の修験道から始め、江戸時代、近現代と教団の成り立ち、山伏の活動、地域社会とのかかわりなどを取り上げ、県内各地の主な修験道寺院を紹介する。本県初めての山伏と修験道の通史として、一般読者にも興味をもって読んでもらえるだろう。

平成28年度刊行 第223巻

『大逆事件余波と群馬(上)-東北評論からの出発-』

石山幸弘

 

半年で消えた雑誌に見る思想界の「冬の時代」

 大逆事件がなぜ群馬に及んだか。それは『東北評論』という初期社会主義啓蒙冊子にあった。その印刷名義人に事件の中核を担った青年がいたということだが、冊子そのものはマルクスの資本論を初めて全訳したことで知られる高畠素之が主筆となり、前橋中学の同期生らが中核となっていた。この事件で3人の不敬罪該当者が出て前橋監獄へ、その他も容疑者あるいは証人として取り調べを受けた。

『東北評論』自体は第4号までで出版弾圧により潰えた。わずか12頁ほどの小冊子に対し、なぜ、政府は過剰ともいえる弾圧を加えたのか。上巻では冊子にかかわった人物や設立から廃刊までの経緯などをつぶさに検討し、日本の思想界の暗黒時代をあぶり出した。下巻では同時代の文学者に与えた影響などについて述べている。

 

平成28年度刊行 第222巻 

『1783 天明泥流の記録-天明三年浅間山噴火災害・泥流の到達範囲をたどるー』 

関俊明・小菅尉多・中島直樹・勢(ママ)藤 力 

 

噴火の泥流はどう流れたか 

 群馬県は比較的災害の少ない土地柄と認識されているが、実は過去には大災害が発生していたことを忘れてはならない。 

江戸時代後半の天明3年(1783)、群馬と長野の県境にそびえる浅間山が大噴火した。当時の様子は文字や絵図として記録され、噴火活動や火山災害の推移、復旧の実相などが明らかにできる歴史災害の一つである。 

発生した「岩屑なだれ」は麓の鎌原村を押し流し、「天明泥流」となって吾妻川から利根川へ流入、江戸湾や太平洋まで流れ下った。流域には甚大な被害を及ぼし、約1,500人もの人命を奪った大災害となった。 

著者たちは天明泥流の到達範囲を現地調査し地形や伝承をもとにたどることを試みた。流域の遺された痕跡を中心に地域情報を集約し詳しい地形図に到達ラインを引き込む地道な作業を繰り返した。結果、長野原地域から玉村地域まで網羅することができた。本書は写真や図を多用し、現在の地形図に当時の泥流がどう流れたかを示す範囲図が地域ごとに掲載されていて、防災のために大いに参考になる。 

平成28年度刊行 第221巻

『ぐんまの自由民権運動』   石原征明・岩根承成

 

群馬の民主主義の源流を探る

 明治10年代に広がった自由と民権を求める運動は日本各地に広がった。群馬県は関東地方の重要拠点であり、本書では自由民権運動が呼び水となって発生した群馬事件に焦点を当てた。
群馬事件は、1884年(明治17)5月に自由党指導のもと西上州の貧しい農民が富家を襲撃した事件で、福島事件・秩父事件と並ぶ代表的な「激化事件」の一つとされる。借金の据え置き、長年賦返済、税金の負担軽減などを求め、国会開設や憲法制定、地方自治などを要求する自由民権運動と結びついた運動は、警察や軍隊の出動で鎮圧された。
群馬での自由民権運動の取り組みや当時の不況による農民騒擾、上毛自由党の動向と群馬事件の実像、秩父事件とのつながりなど、群馬事件の特質をよく捉えた一冊である。


平成28年度刊行 第220巻

『女堀の実像を求めて』  飯島義雄


赤城南麓の中世遺構の謎を探る

 「女堀」と聞いてピンとくる方は、どれほどいるだろうか。
赤城山南麓を切り裂く一筋の堀の跡である。堀の由来について古来複数の伝説があった。近年の発掘調査で人の足跡や畑の畝跡などが発見され、中世初期の灌漑用水だったことが明らかになった。未完成の理由は設計・施工上の測量ミスとされる。
しかし、謎の完全解明には至って。長さ10数㎞におよぶ女堀の新たな謎は取水口について。従来、取水口は前橋市の桃木川からであるとの説に対し、著者は利根川説をとる。
遺構そのもののあり方、地形の中でのあり方、そして発掘データや地形図・絵図・航空写真、さらに先人の研究などに基づき、その実像解明に迫った。 


平成27年度刊行 第219巻

『ぐんまの鉄道』  原田雅純

 

繭と生糸が支えた群馬の鉄道

 上州人として初めて汽車に乗ったのはだれか。
安政7年(1860)、日米修好通商条約批准のため、江戸幕府の遣米使節団に同行した上州権田村(高崎市)名主、佐藤藤七である。使節団監察・小栗忠順従者として渡米した一行は、パナマ鉄道の列車に乗った。
群馬における鉄道敷設は、1885年(明治17)であった。前年上野-熊谷間が開業、本庄、新町へと延伸し、上野-高崎間の開業となった。1896年(明治30)年には上野鉄道の高崎ー下仁田間が開通した。高崎が生糸集散の重要地であったことが大きな要因である。大正から昭和期にかけても県内産業の生産量増強で県内各地に鉄道が敷設された。地域と鉄道が密接な関係を持つようになった結果、信越本線の横川や上越線の水上が「鉄道町」となった。
本書では他に鉄道網の拡大と貨物輸送について、鉄道と災害について、運賃の変遷、戦争との関わりなどについて頁を割いている。「ぐんまの鉄道年表」付、写真、図表も多用、資料性価値の高い一冊である。 


平成27年度刊行 第218巻

『松井田八幡宮祭禮記 附 松井田宿よもやま話』 小林二三雄

 

宿場を愛した庶民感情を読み解く

 松井田町(現安中市)は中山道の要衝で、碓氷峠を信州方面から関東方面に下った地に広がり、江戸時代には坂本宿、松井田宿があった。松井田八幡宮は源頼朝が立ち寄ったと伝えられる由緒ある神社である。
この祭禮記は宝暦6年(1756)に祭礼の規定を定めてから明治30年(1897)まで、141年にわたる祭礼の有無やその時代の有様を克明に記したものとされる。神社の創立年代は不詳であるが、本殿の建立は寛永年間(1624~1644)と伝えられ、数回の改修工事が行われた。
本書では祭禮記の原文を読み下し文にして、その間に起こった出来事が「事件簿」「松井田宿よもやま話」、また、祭礼当日の天気をまとめた「天候記」として掲載されている。江戸中期から明治後期までの庶民の様子を知ることができる格好の資料である。巻末の年表も丁寧にまとめられている。 


平成27年度刊行 第217巻

『山紫水明~桐生の山~』   増田 宏 

 

山をテーマに郷土の歴史を学ぶ

 関東平野の北端に位置する桐生市。市街を渡良瀬川、桐生川が流れ、四方を山に囲まれている。だが、吾妻山、鳴神山、根本山など有名な山を除くと山名を知る市民は少ない。
本書執筆の動機は、人と山との関係が失われていく中、地名や伝承が失われる前に記録しておく必要性があるとの思いからだった。長年地元の山を歩いている精通者や自らの見聞に加えて地誌などの資料を調べてまとめた。
取り上げた山は桐生広域圏を範囲として一部隣接地域を含め、渡良瀬東岸、八王子丘陵、赤城山、袈裟丸山、渡良瀬西岸の5地域になる。山の名称、成り立ち、登山道などについて解説している。昔の地誌の記述や伝説、落城秘話なども盛り込まれている。


平成27年度刊行 第216巻

『幕末維新を生きた人々-吾妻郡の農民たちの記録から』   

落合延孝

 

小さな村の記録から幕末維新を捉え直す

 1990年代から江戸時代の地域文化研究は、地方の文書資料を用いて、地域のコミュニケーションの具体的な諸相を明らかにするものという。
江戸時代の村方には帳簿や日記などさまざまなかたちの記録が残されている。
本書では吾妻郡岩井村(東吾妻町)の田中両之助が記した建言書、もう一つは隣村植栗村の関市三郎が地域社会の動きを書き記した「抜書記録」をもとに、群馬県北部の小村から幕末維新の時代を捉え直そうとした。
第1章は岩井村農民のライフスタイルと経済活動、村方騒動と治安について、第2章は田中亮之助の土地均分や土地改革、積穀、そして開国交易の建言について、第3章では関市三郎の抜書記録から生活世界の変化についてまとめられている。


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